「死」と「生」は同じであるということ④(完結よ♪)

やっとファイナル!
(多分・笑)

 

犬太郎と私の
共通の学びと
その奥に大きく横たわる
本当のテーマに気づいたお話
の続きを。

 

————————————————–
最新情報、先行予約などなどLINEで配信しています♪
友だち追加
追加できない方は直接ID検索→@202rktzm
LINEからもお申込み・お問合せいただけます!

💛犬太郎ガーデンInstagram
💌メルマガ登録
🐶わんごはん講座各種/犬のからだを学ぼう♪
🎀イベント情報★

————————————————–

これまでのお話はこちら↓↓

 

「死」と「生」は同じであるということ。
「旅立ちと生」をテーマとしたお話がインスタのフィードに上がってきて   なんとなく聞いてみました。   動物と暮らす人なら誰しもいつかくる...
「死」と「生」は同じであるということ②
唐突に終わりました前回の続きを(笑) 前回のお話はこちら   犬太郎と私の共通のテーマその奥に横たわる大きな大きなテーマに気づいたお話。...
「死」と「生」は同じであるということ③
9月のはじまりは一気に気温が下がってわかりやすく空気感が変わったスタートとなりましたね。   14年ちょっとを共に生きたパートナードッグ、...

 

オレ、かっこいー U・x・U
・・・はいはい笑

犬太郎が旅立ってから
お世話になっている動物病院へ
挨拶にいったときに

犬の突然の死
犬と家族との別れの瞬間が

私の目の前で
立て続けに起きました。

いつもいないのに
なぜかそこに
激しく鳴くジュウシマツを見た時に

犬太郎からの
強めのメッセージ
(というか、圧w)
と瞬時に感じて

観念して
その場でその意味を
受け取りにいきました。
(意識の中に深く深く入った)

たまごんがヒートになって、
おむつ兄妹になったときもあったね (´艸`)笑

ちなみに、
私は、犬太郎とのシニア生活
そしてその旅立ちを経て

「死」への認識は、
すでに大きく変わってはいました。
死は、特別なことではなく
ただ、この肉体の終わり、
というだけ。

そして、
今この瞬間に
過去も未来も、すべてが折りたたまれて
存在していること。

経験から自分へ落とし込んで
感覚として、得ていました。

そんなその時の私へ、
犬太郎が
立て続けにみせた
犬たちの突然の「死」


そして
そこにかかわる人間たちの
家族の、「悲しみ」「悔い」「衝撃」
などの「感情」。

それらを通して
私に伝えたいことはなんなのか。

意識を合わせて
受け取ることをそのままに
スマホにメモをとりました。

————————
死は特別なことではない

日常に普通にある
ひとつの出来事

そこにあらわれる人の感情
思い
それも、
ただ 沸き起こるだけ

それぞれの人の産物にすぎない

ただ、それだけ

死はただの自然現象
本質はそこじゃない

もっともっと
もっと
軽やかに

しっかり
はっきり
いま
落とし込め
自分に刻むんだ
————————

旅立つ1ヶ月前だね (*´∀`)

目の間に連続して起きた
人と犬の死別の瞬間

それを見た時
私の心は
大きく波立つことはなく

犬太郎を通して
自分の死生観が
すでに大きく変わっていることを
私は感じていました。

その時に私の中に感じていたのは、

愛犬の「死」に遭った人たちの
「悲しみ」「悔い」「絶望」
そんな、人の思いにフォーカスして

その思いに無意識に寄り添っている
自分の心

だった。

犬太郎が私に伝えたかったことは


自分がその生命をかけて
経験して、表現し、そして私に見せ
伝えた

『あるがままの
「生」と「死」』

という
壮大な課題を

もっと、もっとしっかりと
確かに
魂に刻め、
ということだった。

枯れるようにその生命が尽きる姿を
しっかりと見ておけと。いつも言っていたね。

その日の夜
なんどもそのことを思い
そして
そのときに、

私は、私の中で
とても大きなシフトアップを
完了したのを感じた。

死は特別なことではない、と
体感していたその時でさえ
目の間に起きた死に対して、
かかわるひとの
悲しみに寄り添っていた私の心

それは紛れもなく
「死」を特別なもの、
ととらえている立ち位置からのもので。

犬太郎が肉体を離れてもなお
私にだめ押しで強く伝えたかったことを
私も全力で受け取ったとき

私は、それまで生きていた層から

「死と生」は
同じである、

ととらえる層へと
移行が完了したことを
はっきりと感じたのでした。


「死は特別ではない、と感じる」ことは
「死は特別である」世界にいるからこそ
意識できること。

その世界から

「死は特別ではない」が当たり前の世界へ、

移行したのです。


「感情が波立たない」とさえも、
思わない世界。
だってそれは当たり前にそうであるのだから。

この差、わかりますかね?

移行したとたんに、
私の古い周波数といまの差が
とてもはっきりと感じられました。

犬太郎の強いエネルギーが
その日を境に
薄れました。

もちろん、常に感じてはいます。
でもね、
自然になったのです。

やりきったんだよね、
その一連の出来事で
私がしっかり受け取って
落とし込んだことを

犬太郎も一緒に見届けてくれた。

手のかかる飼い主なのは慣れている犬太郎(笑)
そしてそれを引き継いだ、たまごん (´艸`)笑
いつも世話かけてすみませんw

 

それで、
ふいに流れてきたお話を
聞いていた時に
何に気づいたか、という話に
(やっと)戻るのですが。

「子どもの頃の死生観」
に思いをはせたときに
ジュウシマツが脳裏に突然現れて

そのジュウシマツ(=犬太郎の前世)
の死が
私にとって、
生まれて初めて触れた、
生命の「死」だったことを
突然思い出し。

そのときに
犬太郎が旅立ったあと、
私に見せてくれた出来事と
受け取らせたかったメッセージが
瞬時に結びついたのです。

私と犬太郎の
共通の学びのテーマは

あるがままに生きる
自分らしく生きることの本当の意味を
体感して体現することでした。

 

そしてその奥にあった
大きな大きなテーマ

あるがままに生きる
それは紛れもなく
あるがままに死ぬ
も、含んでいるということ。

 

「死と生はおなじであるということ」

 

特別なことではない、
ただの現象であり

いつなんどきでも
大事なのは
「自分で在ること」
それだけだ、ということ。


たとえ「死」の瞬間であっても。
その真理は普遍なのだということ。

生と死という
生命の現象の中で
肉体をもって
様々な経験をし
いろんな感情を感じて
どんなときでも
「自分である」ことを
求めて、生きること。

 

今まで理解していたお互いの課題が
一気に、深く大きく
次元があがったレベルでその真意が

拡大して、
魂に響いたのでした。


犬太郎ありがとう。
私はこんなに
こんなに自分を生きています。

こんなにも、
しっかりと。
毎日、毎瞬
自分であることを
求めて
ぶれずに
生きる私に戻れたよ。

ありがとう。
犬太郎。

 

 

長くお付き合いありがとうございました(笑)

 

人と動物の出会いと
日々の暮らしの中で
もたらされる
あふれるほどの豊かさを

まっすぐに受け取る自分に
なっていきましょう。

 

目の前の動物たちと
まっすぐに思いを交わしあいたい
少しでもそう思うのなら

きっと、
知らなかった世界が
すでにあるということに
気が付けると思います。

 

 

 

 

♪獣医師監修・わんごはん入門講座開催中♪
オンライン講座なので、どこからでもご参加可能です。
テキストもあり、はじめの一歩におすすめです。
ドッグフードの方にも、役立つ知識がたくさん!
食事でできる健康生活の可能性をのぞいてみてください♪

 

LINE公式アカウントはじめました♪
友だち追加
LINEからもセッション予約できます。

 

 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメントの入力は終了しました。