目的とリリース、という意識の使い方。

コスパ、タイパなどという言葉が
日常的に聞かれるようになった現代は、
とにかく、常に
作為がある。

すべての行動を「どれだけ得か」「どれだけ効率的か」
という損得勘定(=何かのための手段)で推し量る生き方は、
「作為」の罠そのものです。

社会全体がその流れになってしまっているので、
その中にいると、気づかないうちにこの生き方になってしまう。

それは、心を中庸から遠ざけてしまう大きな要因のひとつでもある。

「~のために」という目的意識や作意を手放していく。
これは、老子のいう「無為自然」にも通じる考え方です。

人の作為は、自然の中にないものであり
人工的なものであるから、つまり、不自然。

それが悪いというわけではなくて、
ただ、自然の秩序、循環の流れには反するということ。
それを理解することで、
毎日の暮らしの中で、どうすれば穏やかに生きられるのか
が分かっていく。

ちょっと哲学的な入りになってしまったけど
噛み砕いて言うと、

たとえば、心を軽くするためにジャーナリングをすることと
ただ「わたし」という個体の感覚を観察するためにジャーナリングをすることは
似ているようで、全く違うのです。

前者は、損得勘定に似ていて、作為。
後者は、無為。

ここで気づく人がいるかもしれない。

後者だって、自分を知るため、
という目的意識はあるのでは?と。

そうです。
そこが、上手くいく人といかない人を
二分するポイントです。

昨日のインスタライブで話していて、
また新たな重要ポイントに気づきました。


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心が整う犬ごはんで
「飼い主軸®️」を育てる
飯村香織です。

だるいわー
季節の変わり目、
ゆるりと過ごしましょう。

心を軽くするためにジャーナリングをすることと
ただ「わたし」という個体の感覚を観察するために
ジャーナリングをすること

この2つは似ているようで、心の向きが
「真逆」と言えるほど決定的に違うんです。

前者は「人為(目的とコントロール)」の世界であり、
「無為(あるがままの観察)」の世界。

「~のために」(人為)は心を縛る。

「心を軽くしたい」と思って書くとき、
心には「軽くなるべきだ」という正解(コントロールしたい欲求)
が生まれています。

すると、書いた後に「まだスッキリしないな」
と損得を計算したり、
自分の状態をジャッジしたりしてしまいます。

この「こうあろうとする意識」こそが自分を苦しめる原因のひとつ。

「ただ観察する」は心を解放する(無為)一方で、
ただ「私という個体の感覚」を観察して書くとき、
そこには損得もゴールもありません。

「あ、いま胸がザワついているな」
「こんな言葉が出てきたな」と、
まるで雨が降ってきた、風が吹いた、
などの自然現象を眺めるように自分を見ています。

「軽くしよう」と執着する(人為)と軽くならず、
「ただ観察しよう」と目的を捨てる(無為)と、
結果として勝手に心が軽くなって中庸に戻っていく。

では、「自分を知るため」にジャーナリングをする、
という目的はどうなるのか?

ここが、上手くいく人といかない人の
意識の使い方の分かれ道です。

まず、「自分を知るため」という目的は
実はレイヤーが違うのです。

・・続きはメルマガで詳しく解説します。

ジャーナリングに限らず
犬の体やごはんの勉強も、
料理も、なんでも同じです。

自分の意識状態に気づいてみてください。

メタ認知ができれば、
すぐに気づけますよ。

だからやっぱり、日々コツコツ、メタ認知です。

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